10月27日
私はあまりに早く吸収しようとしたのかもしれない。夫や実母に凝り固まりすぎ、勉強のし過ぎなどと言われるのはそのせいかもしれない。
私は自分が聖人君子のようになれば夫はお酒を辞められると思っていたのだと思う。
それが、両親にアルコール依存症の説明をするために探した家族のためのガイドを読み返して衝撃だった。
「アルコール依存症者にしてやられないように」と書いてあったのだ。
私はずっとしてやられてきた。なのに、夫を責めるのは間違ってる、私がそれを受け入れる大きな心がないのが問題だ、と考えてきた。
アルコール依存症の正しい知識を忘れ、自分が変われば夫が変わるという変な期待をもっていた。それは変えられるもの、変えられないものの違いではなく、自虐のループにはまっていただけだ。
今日私は怒っていたし、夫に、生活費がないから持っていた株も全部売る、と私が言っていた時にも、自分が隠しているお金についてなぜ言わなかったのか、と言った。
そしたら「なんで売るのかなと思っていた」という。払えないから自分の資産を売ったのだ。本心なのか、人の話を聞いていないのかわからないけど、真剣にお金について考えていないことはわかった。今まで私がどうにかしてきてしまったのがいけないのだ。
頭で考えることができないのだ。予測や計画を立てること、工夫することができないのだ。本音で話すことも必要だ。私は自分を偽ってきたのだと気づいた。