4月21日
自己正当化と独善は関係が深いと感じる。
私は自己正当化を繰り返してきたために、他の人からのアドバイスをすんなり受け入れることができずに、遅れをとってきたと思う。
それは、独善、私はあなたよりできるという気持ちが常にあったのかもしれない。
相手が目上の人であろうが、人を見下すことで自分を保ってきた所があるし、
それが夫との関係にも影響していたのかもと思う。
本当に尊敬できる人と結婚したい、とは思っておらず、自分の優越感も密かに感じられる相手を求めていたのかもしれない。
自分の母を見ていると、父を見下すことで自分を守っていると強く感じる。
自己正当化をとめる手段は、自分の考えや行動の動機を見つめなおすことだ。
自分に正直であるためにはその行動の理由を考えるだけでは、うわべの言い訳しかでてこない。「そうするもんだと思っていた」とか、他人に責任転嫁をしていては始まらないし、自分で自分がわからないのが正直なところだ。
これまで他人に「そうじゃない」という指摘はできても、「じゃぁどうしたいの?」と聞くと「わからない」という人を多くみてきた。こどものわがままと同じで、何が気に食わないのかわからないまま相手を否定するという行為は相手を消耗させるだけで、自己正当化を強めると感じる。
劣等感がなければ優越感は感じない、ということを知った。
小さいころからモテる人は大人になってもモテて当然だと思うから、自慢しないし、裕福な家に生まれれば「お金もってるんだー」なんて他人に自慢しようとは思わないということ。本人にとってあって当然のものは優越感にはならないが、急にモテるようになったり、お金持ちになったりすると、それらを持っていなかった頃の劣等感をはらすかのように優越感をもつのだ。
私はそれなりに努力をして、自立した大人になった。だから自立していない人に対して優越感をもつ。それは自営業で自立していなかった夫であったり、経済力のない母であったりする。
自分が優越感を持った時には、その劣等感の痛みを思い出して、相手の痛みを感じることができるようになりたい。自己正当化は自分を守るためには相手を傷つけて構わないというリスクを伴う。