nirenohi’s blog

アラノンで今日一日を続けます

3月8日

アラノンとの出会いがなかったら今の生活はなかったと思う。きっと離婚していただろう。そして夫はお酒に飲まれてしまっていたと思う。私はその罪悪感に苛まれていただろう。

とらわれの思考から抜けたのはミーティングだ。淡々と体験を話す人たちをみたからだ。自分が変わらないといけないなんて思いもしなかった。被害者の自分に誰もそんなことはいわなかった。同情されていたのかもしれないけど、アラノンでされる同情とは全然種類が違う。かわいそうに、とかではなくて、「この人も同じだ」というような同調というか、そういう感じだ。

読み物も大事だが、私は「この人たちが読んでいるなら読んでみよう」と思った。

もしミーティングに参加せず、読み物だけ読んでいてはここまでの回復はなかったかもしれない。

和訳されているので表現は違うと思うが、なぐさめを受け入れるというのは、自分に落ち度があることを認めることだ。あなたは被害者でもあり加害者でもあるということを認めることだ。それが自分が変わるための第一歩で、読み物では感じ取るのは難しいように思う。