nirenohi’s blog

アラノンで今日一日を続けます

3月23日

私はボスであることをやめようとしている。

私は実家の近くに住んでいるので、母は「ちゃんと管理しないとだめよ」とよく言う。私の父は時間もお金も、連絡をとる相手も、考え方も完全に管理されている。もしかしたらフリをしているだけかもしれないが、母は管理しきっていると思っている。

だからいつも私は母から否定される。この前も、保育園の入園準備で色々お願いしたいことなどはなしていたら「夫をちゃんとかまってあげないとだめよ、また一人にしちゃうと飲み始めちゃうかもしれないし」という。そういわれるとこどものことばかりになっている自分がいけないような気がしてしまう。

とにかくちゃんと管理しろ、と言う。私はそれが嫌で実家から通えるところに就職したにも関わらず就職と同時に家を出た。姉も同じだ。そして高齢の舅姑にも母はやんわりと拒否されている。

ボスであることは何のためかと言えば、自分自身と向き合うことから逃げるための口実だ。他人をコントロールできないことは母だってわかっているはずなのだ。それなのにコントロールしようとしてできなくて傷つく。恨む。相手に罪悪感を抱かせる。

でも、孫はかわいいみたいだし、こどものことでお世話にならざるを得ないし、悪い人ではないのだ。母からも手を離すことが私には必要だ。

3月22日

心配することは管理すること、結局はコントロールすることなのだと思う。

昨日夫は会社に仕事用のリュックそのものを忘れていった。

リュックを背負って家を出ようとした時に靴下をはき忘れたことに気づいて、部屋に戻って、靴下をはくときにリュックをおろして、そのままリュックを忘れて、職場についてからリュックがないことに気づいたそうだ。

夫も楽しそうに話していたので、おもしろすぎてゲラゲラ笑った。

お酒をやめてから本当にぼけた、とよく言っているが、端からみていると自分のミスを自分のミスだと思うようになっただけだと思う。

今までだったらギリギリの時間に起こした私のせいだったり、忙しすぎる会社のせいだったり、「そういうことですよ」とか言って運命のせいにしていたと思う。

こういう出来事があって、今までなら「また忘れ物をするのではないか」とか思っていたかもしれないが、今回はまったく思っていない。

すべての心配をしなくなったわけではないが、仕事に関しては自分は関係ないと割り切れるようになった。それは私の仕事に夫は関係ないのと同じだと考えると納得しやすい。他の事もみんなそうなのだ。健康状態だって、お金のことだって、夫と関連する部分はあれど、自己責任でやっている部分の方が多い。だから自由があるし、自分の人生を生きられるのだ。

3月21日

はきだしの解放感をアラノンはいつも与えてくれた。最初は自分がどんなに大変な目にあっているのか、夫は夫で飲まないといられない不幸な境遇にあるのだ、と共依存丸出しのことを泣きながら話していた。

その後も少しうまく生活がいきはじめるとアラノンに行かなくなって、またお酒で大変な思いをして、また通い始めての繰り返しで、アラノンを駆け込み寺のようにしていた。つらい時だけ頼りにして、日々の努力をしていなかった。

アラノンで今日1日を毎日読もうとトイレに置いて読んだりしていたが、結局続かなかった。

今回1年分読んだことで自分に浸透しただろうか。そして、育児休暇があけて忙しい日々に戻ったら、またアラノンの考えを忘れてしまうのではないか心配だ。

アラノンの考えを浸透させるためには、できるだけ時間を作って書物を読むこと、自分のブログを読み返して自分の考え方の癖を意識すること、ブログも毎日ではなくても良いから続けること、ステップをやり直すこと、ミーティングに行くこと、これらを意識して生活する。

3月20日

私たちの人生に「事柄」が起こり始める。

 

このブログを始めてもうすぐ1年になる。始めたきっかけは、これまで毎日読もうと思っても続かなかったこと、育児休暇に入ったので時間がとれると思ったこと、こどもも生まれるのでちゃんとしたいと思ったこと、1年間をやり遂げるという目標をもつことで自分なりに達成感がでるかな、とかそんなきっかけだった。

夫が断酒をするとは思っていなかったし、夫をどうしたいかは考えていなかった。

とにかく全部読んで、全部感想を書くぞ、というだけだった。

思い返せば、4月にこどもが生まれて、6月に夫が自転車で飲酒運転して警察沙汰になって、アルコール外来に通い始めて、10月に夫が暴れて、私が子どもを連れて家出して、年末から夫が断酒して、断酒会にも行ったりして今に至る。

出産以外、「事柄」はなに一つ予想していなかった。

何がどうなってこういう展開になったのかはあとから考えても偶然としか思えないし、今となっては警察沙汰も私の両親に夫のアルコール依存症について説明するきっかけになったし、私が家出したことも夫がアルコールと向き合うきっかけになったのだと思う。

「事柄」はあとからついてきたようなイメージだ。

適当に読んで書いた日もあるし、更新できていなかった日もある。ただ謙虚に1年間続けたと自分でも思う。こんなの意味があるのかな、とか効果があるのかな、とか結果を期待することなくただ続けたし、苦ではなかった。苦ではなかったのが自分でも不思議だ。

 

3月19日

昨日夫が断酒会へ行った。私にも行くと事前に言っていた。この前はまだ飲酒している時に断酒会に行ったので、私にもコソコソした感じだったけど、今回は違った。

休みの日に出かけると以前は飲酒してくるのではないかとソワソワすることもあったが、もう今はない。飲んだら飲んだでスキップだな、と思える余裕もあるし、努力してもアルコールに負けてしまうこともあるかもしれない、とこれまで積み上げた断酒の日々に注目できるようになった。

飲んでしまった1日より、飲まなかった2か月半の方が重要なのだ。

断酒会のあとは飲酒欲求が強くでるから、と深夜までドライブしていたようだ。

夫は夫なりに自分を説明できるようになったし、そのことで私も安心できるようになった。

 

 

3月18日

アラノンに通い始めてからいろんなことを自分の責任と思えるようになった。今私は子育て真っ最中で身なりもあまりちゃんとしていない。

キレイなママもいるのだから子育ては理由にならない。

そういうことを意識できるようになっただけでも自分が明るくいられる。

子育てを手伝ってくれないから身なりを気にする余裕もない、ことは半分は合っているかもしれないけど、子育てしていない時だってそんなにきれいじゃなかった。

これは自分の責任だ、こどものせいでもなければ、夫のせいでもない。

そう思えれば「こんな自分」に正直でいられるし、努力すべき点も自分で考えることができる。「どうやって夫に手伝わせようか」とか考えずにいられる。

もし美容室に行きたいなら行きたいと言えば良いし、その間子どもをみてほしいとか自分の希望を伝えれば良いのだ。そうすれば恨みがましさもない。

責任をとることの最低限の条件は人や何かのせいにしないことだ。

自分が思った通りの自分じゃないのはすべて自分の責任なのだ。

 

3月17日

ステップをやり直したいと思いながらできずにいる。きっと来月には育児休暇も明けて、さらに時間がなくなるだろう。今も保育園の入園準備でバタバタしている。

多分ステップはしばらくはできないだろう。アラノンで今日1日をやりきることが当面の目標だ。

今、埋め合わせには取り組んでいる。

恥ずかしい話だが、夫が自営業をしていたころの法人税の滞納がまだ残っている。すでに会社は消滅しているし、払う必要はないのではないかと思っていたけれど、私にとっては、法人税を支払わずにお酒を飲みに行っていたことは、人として恥ずかしい行為だったし、踏み倒すことなくいつかは払いたいと思っていた。これまではボーナスが入った時とか、すこし余裕資金があるときに分割で払っていたが、納付書の期限もきれるため、税務署に電話をした。払う気があることを伝えた。延滞金もだいぶたまっている。

納付計画とか書類も書いて、前向きな気持ちになれた。「払わなくても差し押さえされるものなんてないのに払う必要ある?」と全く思わないわけではない。

でもこれは気持ちの問題だ。あのアルコールにまみれた地獄のような日々を清算するのだ。そのためには支払っておく必要がある気がする。それが埋め合わせだろう。