3月25日
初日から難しい話になってしまった。
自分で読んだだけでは、「そういうことね」とわかったつもりになって終わってしまう。
そうしているうちに毎日読み続けなくなって、いつのまにか前の自分に戻ってしまうことの繰り返しだった。
「沈黙」
私は恵みの沈黙をしたことはないように思う。
私がする沈黙は、からまれた時にどうにかやり過ごそうとしている、言い返したらおしまいだからここはこらえよう、という沈黙だ。
これはいやみとうらみの結果なのだろうか。
自分ではがんばって耐えた「沈黙」ではあるけど、夫からは「なんだよ、シカトかよ」と言われたことは多々あった。
それでも沈黙できるようになったのは、「手から離して神に授ける」という選択が
できるようになったからかもしれない。
私の中で沈黙は防衛手段だった。
他の誰かを傷つけるための沈黙ではなかった。だから自分を守ることができたと肯定的に沈黙をとらえている節がある。
酔っぱらっているその日には沈黙は手段だが、飲みすぎた次の日に反省している姿をみてもまた沈黙してしまう。
責めないだけマシ
と思っていたけど、その時の沈黙はきっとうらみやいやみでいっぱいだったのかもしれない。
記憶がなくて、「昨日なんかした?」と心配している人にとって、知っているにもかかわらず沈黙されるのはつらいものだろう。
でもどうすれば良いのかな。
最近はあまりからまれなくなってきたから、飲んでいた状況について聞かれても、
「カップラーメン食べてすぐ寝たよ」とか事実をかいつまんで伝えることができるけど、私が何を伝えるかで相手にどのくらいのダメージを与えるか操作することは簡単だ。
沈黙は何て答えたら良いのかわからないときの「逃げ」としても使っているなと思った。
記事にタグをつけると、同じ興味の人に読まれやすくなります伝えるかで与えるダメージは私がいくらでも操作できる。