10月3日
「私たちはあわれみと共感の微妙な違いを学んだ」
この一言に集約されている。憐れまれるのが嫌だからだれにも相談できなかったのだ。
アラノンには憐れみはない。自分より大変な経験をした人も、憐れみの対象ではなくて、明日は我が身に思えるのだ。
こどもを産んでから、こどもにまつわる事件を目にするたびに、かわいそう、から、もし自分だったらと心が痛くなるようになった。そんな感じだ。
連帯感ともいえるかもしれない。
憐れまれるのが嫌なのは自分のプライドだ。くだらないプライドを守るために毎日必死に幸せに暮らしている振りをしてきた。でも、どこかではちゃんと吐き出さないといけない。
私は順調ではないけれど、良い方向に向かっていると思えている。
今、希望のない人が私をみたらどう思うのだろう。