nirenohi’s blog

アラノンで今日一日を続けます

11月3日

「無関心になることは、あきらめと絶望の表れにほかならない」

私はアルコールの問題から逃げたくて無関心になって、あきらめていた。

母に、もっと認めてあげなさいと言われ、本当にその通りだと思った。

関心をもつことと干渉することの違いがまだわからないのも事実だ。

その人からではなく問題から離れるために、私は夫が飲んでいない時には普通だが、飲んでいる時や、飲もうとしている時にはそっけなくなったり、家にいないようにしていた。今思えば、飲んでいない時にも飲んでいる時の恨みを引きずっていた。

愛をもって離脱するってわかるようでわからないけど、1週間以上お酒をやめている夫に対して、今は「どうせまた飲むんでしょ」と思っていない。ずっと飲まないだろうとも思っていない。私には関係ないこと、という無関心とも違う。自分は自分で、お酒を飲んだら実家へ行こう、とかこどもに影響のある問題を起こしたら離婚しようとか、私の世界が広がって、離脱まではいかないが、お互いを縛っていた縄にだいぶ余裕がでたような感じだ。お酒を飲むことを、口では罰して、行動では承認していたが、今は言うことと行動が一致してきた。それはミーティングにコソコソいかなくなったことに象徴されていると思う。