4月27日
酩酊しなくなったことを心から喜んでいるかといえば、まだ禁酒したわけではないし、
いつ飲みすぎるのかという不安から解放されたわけではないので、喜んではいない。
相手がどれくらいのんでいるかに一喜一憂しているうちはまだまだ自分の心が安定しているとはいえない。
「私たちの問題の私の部分だけを引き受ける」ということは、言葉ではわかるけれど、どこで線を引くのか、そもそも私の問題は何なのかがわかっていないと引き受けることができない。
今のこの不安は自分の不完全さからきていると、本音では思えてはいない。
飲まなくなってくれればいいのに、と思っている。
それに反して夫は酩酊する回数は激減していて、自分が取り組むべき課題に取り組んでいる結果だと思う。
それを認めることは自分の方が努力不足だと認めることになりそうだと、夫を認めることは私の優位性が失われることになるのではないかと思っているのかもしれない。
「私よりあなたの方ががんばってるね」
比べるものではないけれど、素直に相手の努力を認められるようになるにはまだ時間がかかりそうだ。