nirenohi’s blog

アラノンで今日一日を続けます

6月11日

「手から離して神に預ける」という言葉はこれまで私を救ってくれた。特に絡まれそうになった時に、私が寝ているところに入ってきて、私が言い返したくなる時に黙ってこの言葉を唱えていたらそのまま絡まれることなく去っていったことも何度かあった。もちろん、身の危険を感じた時は家から逃げた。

 

私にとってこの言葉は、言い返したい衝動を止めるための言葉だった。急に神にすがるというような。

私は自分の問題に背を向けるタイプなのだろう。アラノンの教えを実行しているようで、本質的な部分から目を背けて、自分に都合よく助けてもらおうとしていた。

困ったときだけ神頼みするような、日本人特有の考え方だ。

この言葉の核心は「すべてはよいものへと向けられているいう勇気ある信仰に基づく」

という。これは予期不安とは正反対ということだ。

私がこの言葉を唱える時、完璧に絡まれたくない、と思っていたかというと、心のどこかで、きっとまたからまれる、と予測していた、というか望んでいた部分があった。

どうしてそんなことを望むのかといえば、自分が被害者でいることを望んでいたからだろう。