nirenohi’s blog

アラノンで今日一日を続けます

8月2日

その人が望むように生きる権利をもっているのを容認する。

投げやりになって、「好きに生きれば?」というのとも違う。

私は夫に対して、まだ裁く人なのでここまで到達していない。

好きに生きれば?と思うことは、私とはもう関係のない人だからね、という切り捨てに近い。これは私の価値観である。どういう生き方をするのか興味津々な時点で、容認という言葉からは程遠い。

自分の生き方に集中していないということだ。

私は夫のことが好きだけど、こどももいるのでこれ以上問題が続けば離婚も考えている。夫はここまで結婚生活が続いたのだから、私が自分を捨てることはないと思っているかもしれない。

だから「好きだけど別れる」という選択肢も私の中にはあると伝えている。

若いなら好きか嫌いかで離婚を考えるのかもしれないけど、感情だけではどうしようもないこともある。この言葉は冷たく聞こえるのだろうか。

この選択肢が思いついた時に私は気持ちが楽になった。「好きだから何が何でも一緒にいたい」という気持ちから、一歩ひいて自分のことがみれるようになったような気がする。