12月13日
「他の人々を助ける喜びと満足を必要としなくなる時は、永遠にこないであろう」
高齢者をみていて、本当につらいだろうと思うのはこういうことだと思う。
自分で自由に動けなくなった時、自分が必要とされなくなった時、生きる目的を見失うのだと思う。
夫をみていて、役に立ちたい、でもその自信がないのだと思うことがある。
私のジレンマは夫に色々頼みたい、でも断酒という問題に取り組んでいる時に色々頼むわけにはいかない、でも夫は自分を頼ってほしい、仲間に入れてほしいと思っている。
そのさじ加減がわからないし、その匙加減は本人が決めることなのに、気をつかいすぎているのかもしれない。
子どもをつれて大きな公園へでかけよう、と夫に言ったら嬉しそうだった。それをみて私は「こどもを連れていくのだから、それを中心に考えてほしい」と単純に嬉しそうにしている夫を見て思ってしまった。何かの仕返しの感情だ。それまでは、たまには夫にも気分転換してほしいとか思っていたのに、嬉しそうな様子をみたら、「ちゃんと公園で子供の面倒みてね」とか、恨みがましい感情がわいてきたのだ。
役に立ちたい気持ちってそういうことではない。
ただ、今回は口に出さなかった。恨みの感情にあとで気づくことができた。
こどもを楽しませたいのはもちろん、夫にも楽しんでほしい。夫も私に楽しんでほしいと思っているだろうから、公園に行ったらこどもの世話もしてくれるだろう。
お互い助け合いだ。私も助けてもらっている、それをすぐに忘れてしまうのは私の方だと心に留めておこう。