2月24日
「飲酒者自身の深い不幸せ」をなんとかしようとして状況を悪化させてきたのだと思う。私は夫が不幸せであることが認められなかった。夫が不幸せであることはすべて自分のせいだと思っていた。私は夫を幸せにしたいという気持ちが強かった。
夫は幸せそうなものやキラキラしたものが苦手だ。反骨精神が強いといえばそれまでだが、自分に不幸というレッテルを貼って生きている。
夫は母親が自分を出産したことをきっかけに病気になり、自分が30代の時に亡くなってしまったことに罪悪感のようなものがあるようだ。母親が亡くなった時期に父親が脳梗塞になって介護することになり、その時期に飲酒が始まった。
飲酒は自分を救ってくれた、とも言っているが、逃げ場でもあったのだと思う。
そういった不幸せが重なった時に、この人を幸せにしたい、と思う私が現れて、結婚して、アルコール依存症は進行していったのだ。
夫は今、幸せを受け入れようとしている。こどもがいれば、経済的には大変になるし、お世話される人からお世話する人にならないといけない。でも子育てをしていると幸せな瞬間というのは度々訪れるし、幸せな瞬間ってこれまではお酒を飲むことだけだったと思う。私もその気持ちはよくわかる。
今も私への嫌味は時々あるが、子育てを理由にスルーできるようになった。私も自分を充実させていくことが大事なのだろう。